絶対的自由が保証された都市で、人々は同じ方向を向いて立ち尽くしていた――許可された選択だけが行き交う広場で、記者は自由の値札を読み解こうとした

リヴェルタス中央広場は、昼でも夜でも同じ明るさを保っていた。高層建築の谷間に浮かぶ巨大なホログラムが、空を覆い尽くしているからだ。
「ABSOLUTE FREEDOM」
「UNCHECKED LIBERTY FOR ALL」
「FREEDOM’S PRICE」

透明な青い文字が、祝福のように人々の頭上で揺れていた。

広場には誰でも立てる。抗議も、演説も、沈黙も許されている。警官はいない。規制線もない。だが人々は、等間隔で立ち、等しい時間だけ滞在し、やがて等しい速度で去っていく。その光景は、自由という言葉の展示模型のようだった。

私は記者として、その均質さに違和感を覚えた。

誰も怒っていない。
誰も熱狂していない。
誰も、自由を奪われたと感じていない。

だが、誰も笑っていなかった。

取材を進めるうちに、私は「自由評価指数」という内部資料に辿り着いた。リヴェルタスでは、すべての行動が自由度として数値化される。移動、発言、職業選択、交友関係――それらは制限されない代わりに、評価される。

指数が高い者ほど、社会的信用が上がる。
信用が上がるほど、選択肢が“滑らか”になる。

問題はそこだった。

選択肢は減らされない。ただ、勧められなくなる。
選ばない行動は、非合理として静かに沈められる。

ある若者に話を聞いた。
「自由ですか?」と問うと、彼は少し考えてから答えた。
「ええ。何でもできます。ただ……やらない理由を説明するのが、少し大変なだけです」

別の女性は言った。
「自由には責任が伴うでしょう? 私たちは、ちゃんと責任を果たしているだけです」

責任。
その言葉が、この都市では免罪符のように使われていた。

私は、かつて発禁になった思想書を思い出していた。そこにはこう書かれていた。

「自由とは、結果を引き受ける覚悟ではない。
自由とは、説明不能な選択を抱えたまま立つ不安である。」

リヴェルタスには、その不安が存在しない。
不安は“最適化”によって、事前に除去されている。

記事を書いた夜、私は広場に戻った。ホログラムは相変わらず輝いていたが、その下で立ち止まる人は少なかった。誰もが、どこかへ向かって歩いている。

ふと、私は何も表示されていない空白の区画に足を踏み入れた。推奨も、警告も出ない。そこは、指数が測定されない場所だった。

心拍が早まる。
理由のない行動は、久しぶりだった。

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その瞬間、私は理解した。
この都市で最も高価なものは、自由ではない。
自由を疑う勇気だ。

見えない鎖は、破壊されることを前提に作られていない。
それは、人々が自ら装着し、磨き、誇るためのものだ。

そして今日もまた、リヴェルタスは自由を掲げる。
誰一人として、その値札を読もうとしないまま。