八雲神社(やぐもじんじゃ)は、千葉県君津市三直にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。祭神 須佐之男命 稲田姫命 誉田別命 武御名方命
本社の起源は定かではないが、社伝によると、成務天皇の御代、須恵(後の上総国周准郡)の国造、大布日意弥命が須恵の守護神として、須佐之男命を祀ったのに始まる。
斉衛3年(856)3月、社殿を改築し、同年6月御遷宮式を挙行した。
治承4年(1180)8月、石橋山の戦に敗れた源頼朝が安房の国に渡り、この地を通過し、神鏡一面を納め源家の再興を祈願した。天文9年(1540)正月、里見家第7代の義弘、武運長久を祈願し、次いで寛永3年(1626)11月、領主の石野八兵衛、幣帛を奉って加護を祈願した。
元文4年(1739)6月、領主の赤松式部が現在の本殿(市指定有形文化財)を再建した。
このように、代々の領主は本社に対して崇敬厚く、毎年玄米一俵を供え、武運の長久と国土の安泰を祈願した。また、日本橋・麹町・行徳・船橋・夷隅・安房等に講があり、毎年正月20日には参詣する人が多かった。
本社はもと、牛頭天王と称し、天王山正智院忠善寺を別当としていたが、明治維新後八雲神社と改称し、明治4年7月に村社となる。明治42年6月八幡神社を合祀し、同年11月諏訪神社を合祀した。大正5年3月に郷社に昇格し、昭和29年4月、宗教法人八雲神社を設立し、今日に至っている。
古老の口碑によると、第13代成務天皇の頃、須恵国造大布日意弥命が須恵の守護神として須佐之男命を祀られたのに始まる。
以来三直郷の産土神として550余戸の氏子を有したという。現在は稲田姫命・誉田別命・大己貴命を併せて祀る。
付近には、三直上郷横穴群、三直遺跡、三直台古墳、三直中郷遺跡、小金塚古墳群などの遺跡が点在する。
平安時代の斉衡3年(856年)3月、治承部少輔従5位下、藤原三直が社殿を改築し、同年6月には御遷宮式を挙行したという。
年代不詳だが、出雲大社の神職家でもある出雲国千家国造が御影一軸を奉納した。
鎌倉時代初期の治承4年(1180年)9月、源頼朝が当地に渡った時、家臣下河部忠善・石黒正智に命じて武運長久を祈り神鏡一面を奉納した。
戦国時代の天文9年(1540年)正月13日、安房国戦国大名の里見義弘が武運長久を祈願したという。
本殿は市の文化財に指定されている。
例祭は8月1日。現在はその前後の日曜日に神輿渡御がある。江戸時代前期の寛文12年(1672年)に領主の赤松播磨守によって造営されたとされる大神輿。
当地領主に赤松播磨守は確認できない。以降、文化6年(1809年)、天保2年(1831年)、明治15年(1822年)にそれぞれ修復し、渡御の記録もある。
一時期渡御が途絶していたが、平成12年(2000年)に氏子から神輿の修復の声が上がり、翌平成13年(2001年)には修復が終わり、渡御が再開された。