棒術は源頼朝の家臣が三島神社に奉納したのが始まりとか「君津市・三島神社」
君津市に鎮座する三島神社の祭礼の際、4地区(宿原・奥米・豊英・旅名)の氏子たちによって奉納されるのが棒術と羯鼓舞(かっこまい)。棒術は源氏の武術鍛錬にも関わる歴史あるもので、羯鼓舞は農民の雨乞いの儀式とか。千葉県の無形民俗文化財に指定されています。
大山祗命を祭神にする三島神社は、源頼朝に関わる伊豆国三島神社の分霊を勧請して創建したという古社。
9月の最終日曜または10月の第1日曜に斎行される三島神社の祭礼で、旅名地区が羯鼓舞を、他の豊英・宿原・奥米の3地区が棒術を伝承。
祭礼当日、高さ10m以上もある各地区の大きな幡を先頭に、棒術・羯鼓舞の演者、神輿や鉾などの行列が神社に勢いよく入れ込み、そのあと棒術、羯鼓舞の奉納となります。
棒術は、源頼朝が真鶴(神奈川県)から海を渡って安房国(千葉県)に上陸。海岸沿いに北上し、君津を通過した際、何人かの家来がこの地に土着し、武道に励みながら三島神社に奉納したのが始まりとか。
豊英には丸橋流、宿原には蓮見流・田原流、奥米には朝山一伝流が伝承されています。
本技は、六尺棒、刀、太刀、鎌、扇子などの武具を持って相対し、気合い鋭く技を展開するもの。
羯鼓舞は、日照り続きになったとき、農民が三島神社に集い、雨乞いを祈願したところ、突然いずこからか竜神が現れ、慈みの雨を降らせたという故事にならって、獅子を竜にたとえて舞いにしたもの。
羽毛を密生させた竜頭を頭につけた親獅子、中獅子、牝獅子の3体が、お腹につけた羯鼓(かっこ=雅楽で使われる打楽器)を打ちながら踊ります。
花笠をかぶって四方に立つ「ササラすり」の中央で獅子達が舞う様子は、「四方のあまねく民」すなわち大勢の農民が日照りに困り神に祈っているところへ3匹の龍神が現れ、雨とともに踊っている様子を表わすとも。
ササラを打ちならす音は雨音を表し、花笠の垂れ糸は、雨滴にたとえたもの。
哀調をおびた笛の音に合わせ、腹部につけた小鼓を打ちながら踊る姿は、男性的な棒術と好対照です。