例年4月下旬に神社の祭礼が催され、「はしご獅子舞」が演じられる「鹿野山 白鳥神社」は九十九谷展望公園向かい

ここ白鳥神社は日本武尊に縁深く、その魂が白鳥となり飛来したとの伝説があります。神社奥の林内に、尊を祀った剣形の塚が建てられており、霊妙な空気が流れているかのようです。

白鳥神社の由来は諸説あるが、この地を支配していた豪族阿久留王を征伐した日本武尊に纏わる話が多い。日本武尊は伊勢の熊煩野で亡くなりその地に葬られたが、墳墓の中から一羽の白鳥が出てきて東に向かって飛び立ち、鹿野山山頂に来て止まったので、ここに祠が設けられ、その後白鳥神社となったそうだ。聖徳太子が神野寺を建立したとき白鳥神社を崇敬し、東国の鎮守と称した。また僧円仁はこの神社を改造したとも言われている。昔から武将の崇敬も厚く、永正十年(1513)に真里谷城主武田信勝が寄進したが、更に久留里城主里見義堯や佐貫城主らによって寄進されている。元々は白鳥峰山頂に社殿はあったが、大正六年に上陸した台風によって崩壊した。この為、以後現在の中腹の現在地に社殿は建て直されたという。

毎年4/28日の祭礼の際、神社の広場において「はしご獅子舞」が演じられます。
この獅子舞の由来は、戦国時代永正元年(1504)に紀州高野山の名僧弘範上人が、真言密教布教のため、霊地鹿野山を訪れた時まで遡ります。 当時、奥高野には1匹の牡獅子とそれを慕う牝獅子が住んでおり、獅子が恋に燃え荒れ狂う様が、断崖を模したはしごの上で演じられます。
この行事は上人を慕ってこの地に移り住んだ木こりたちが、遠く離れた故郷の奥高野を思い、始められたものと伝えられています。