千葉県君津市中野にある、五人の村の開祖を祀っている「御霊神社」
創建は不詳ですが、社のおかれてる地形からみて、この地方の開祖を神に祀ったのが創めと考えられます。社伝によれば、大昔の中野の開祖(郷士)、鈴木氏(大原)、高橋氏(伝左衛門)、大野氏(新左衛門)、錦織氏(藤左衛門)、石井氏(八郎衛門)の五霊を祀ったのが起源であるといわれております。
後に万延4年(1863)、悪病退散を祈願して人見神社の御霊分けと思われる、高皇産霊神を併せ祀るようになりました。又、日本古来の神仏習合の思想により、何時の時代か定かではありませんが、神社奥殿に御神体として「大日如来坐像」が安置されていましたが、第二次世界大戦後の混乱期に盗難にあい、その後、昭和44年「釈迦如来」が御本尊として安置されました。
また明治43年に東前の大六天社、内出の常盤神社、小原の飯縄神社、大原の稲荷神社、高井の稲荷神社、中原の天神社の六社を本殿に合祀しました。
昭和47年には中野地区に於いて区画整理事業が始まり、都市計画道路の造成に呼応して、神域の改修、社務所、祭囃子保存会詰所、山車庫の建築をし、神輿、山車も備え、神社としての設備が整いました。
例祭は10月の「体育の日」の前日の日曜日に行っています。