坂東30番札所・新上総1番札所・文化財に指定されている高床式の珍しい本堂「平野山 高蔵寺」:高倉観音(千葉県木更津市)
日本武尊が弟橘媛を偲んだという伝説で知られる「恋の森」木更津太田から、旧鎌足村高倉(矢那)への一本道、山狭の集落を抜ける頃、左手に木立の茂る、山が見えてくる。鬱蒼としたモミや杉の古木に囲まれた古刹、それが平野山高蔵寺。
高蔵寺には藤原鎌足生誕にまつわる伝説がある。この里の有力者だった猪野長官(いのうちょうかん)という人物が、40歳あまりになっても子宝に恵まれず、ここの観音に願いをかけたところ、予与観(しょかん)という名の一女を授かった。心清く人に親切な素晴らしい娘に成長したのだが、器量が悪かったため、良縁がなく嘆いていた。彼女は自分が生を享けたいきさつを父から聞かされ、自分もこの観音におすがりした。すると「鹿嶋に行って、日天を拝みなさい」との夢告があり、男子を授かった。これぞ「鎌子」、後の藤原鎌足(614〜669)その人であると言われている。鎌足はその後、この観音を深く崇拝し、七間四面の本堂や阿弥陀堂、三重塔、鐘楼などを建立した。本尊は、その後行基が訪れた際に刻んだ像で、徳義上人が祀った像は頭部の中に納められている。
高蔵寺は、用命天皇(ようめいてんのう 在位585〜587)の代、徳儀上人(とくぎしょうにん)が修行(しゅぎょう)を積んでいたところに老翁(ろうおう)が現れ、古木を指さした。そこに四寸ほどの観音像が安置されていたので、里民と共に堂宇を建立して祭ったのが寺の縁起であります。
平野山 高蔵寺(へいやさん こうぞうじ)
http://takakurakannon.com/
観音の霊験は矢納郷の猪野長官(いのうちょうかん)に現れます。40歳になっても子のない長官が願をかけ祈ったところ一女を授けられた。娘は20歳を過ぎても良縁がなく再び観音さまにお祈りしたところ、結婚、めでたく男子を得た。これぞ「藤原鎌足(ふじわらのかまたり614〜669)」と言う鎌足生誕の伝承があります。